今際の国のアリスありがとう。Netflixありがとう。

二年前に第一シーズンがNetflixで公開され視聴した時に虜になった。

そしてつい先日第二シーズンが公開され、早速全話視聴し終わってしまった。

 

怒涛のネタバレを含み感想を書いていきたい

 

まず共通の大災害に巻き込まれた臨死体験者たちによる集団幻覚(集合的無意識)の世界という舞台設定が最高に面白い。

ユング集合的無意識や、「人がかつて襲われる立場だったから今でもゴキブリを恐れている」というような人間の歴史の記憶をそのまま世界に落とし込める世界設定が、重層的で示唆に富んでいると思った。実際当該作品では災害原因が渋谷での隕石落下事故だったため、被害者は東京出身者が多く、結果、集団幻覚の世界として東京23区のみが集合的無意識、記憶の蓄積として成立している。そして東京の外に行くと断崖絶壁や森林が広がっているというのも、人間の脳の構造に基づいた世界設計でそそられる。

これについては新世界より貴志祐介)の世界観とも通じるものがある。東京は危険な場所だという集合的無意識(PK=呪力)が東京をより死の想像力蠢く魔境へと変化させ、負の感情を無意識のゴミ箱東京へ垂れ流すことで、舞台・神栖町の偽りの完璧な平和を保っている。

また、今際の国での1ヶ月が、現実では1分でしかなったというのも、最高に素晴らしいオチだったと思う。人間が夢を見るとき、まさに夢のなかではとても長い時間過ごしていたようで、現実ではたった数分しかたっていなかったという経験は誰しもしたことがあると思う。数多の試練を潜り抜け、生きるために必要な選択、時に友人を殺してまで生き抜く必然性、資本主義的サバイバル、エゴイズム、それぞれのゲームにありったけの示唆が込められていたものの、それは現実世界に戻った時には、たかが1分ほどの曖昧な記憶に薄まってしまう。これが人間の愚かさであり、力強さであるとも思う。「これが生きるために必要なレシピだ!」「生きるtってこういうことだったんだ」「丁寧に今を大切に生きていこう」と理解した日が人間みな何度となく訪れているはずだが、次の日には一瞬で忘れて、駅前の駐輪場で違法駐輪したり、改札を無理矢理突破したりできる。「これだけのギリギリのゲームを潜り抜けてきたので、もう最強です、めでたしめでたし」で終わらない現実の鋭さを時間の圧縮によって端的に示していると思いだからこそ今際の国を戦い抜いた登場人物たちの生命力の輝きがより一層対比として強調され、物語の説得力がすさまじいものとなっていて、最後の結末まで含めて好き。

 

次に集団幻覚の中でゲームが開催される理由が明かされた時に意外性に驚きつつも、しかし納得感と一貫性を感じて驚嘆した。

主人公アリスは理不尽に襲いくるデスゲームを潜り抜けていく中で、ゲームの目的、この世界の意味について問いかけ続ける。結果としては「臨死体験(今際の国)から現実世界へと復帰し生き返る」ためのものだった。ゲームでの死は、臨死体験という、まだ生き返ることもできる中間状態から、死という新しい平衡状態に達することを意味する。生きるか死ぬかのはざまでゆらめくことに疲れ、死という結論をある種の幸福と捉える人も一定数いる。それでも、死の誘惑に細胞が打ち勝ち、苦しみながらも理不尽だらけの現実世界に復帰するという奇跡的な選択をできれば、ゲームに勝ち、現実世界に戻ることができる。

普通のデスゲームだと、それを突破できるか否かは、文字通り死活問題であり、そこから逃げれば単純に死ぬだけ。なので心と体を強くして勇気を持って仲間と協力して敵に立ち向かいましょう、という単純なマチズモに陥りがちである。単純なビルドアップが苦手なオタクへのサプリメントとしての変形バージョンが、ソードアートオンラインであり、リゼロであり、異世界転生であり、それらも結局は、前提軸としては「今までやってきた、今生きている普通の人生が、そのまま全肯定され、突如最強になれる」ことを謳っているサプリメントにすぎない。そこでは主人公の最強性を裏付けるためのスパイスというベクトルでのみ、死や強敵がやってくる。もちろん主人公の内面の弱さを具現化した敵はとても訴求力はありそれを克服していく過程は見応えがある(リゼロの白鯨戦とかは本当に好きだ)が、個人的にそういうものは舞台装置や超越的概念をとりあえず配置したようなよそよそしさを排除しきれず、シンデレラにおける魔法のように不可思議的に発生しているように見えて、物語としては面白くても、どこかでご都合主義だと達観してしまう自分がいた。魔法を信じていれば夢が叶うなんて、異世界転生し最強を取り戻せると信じるなんて、ガチャでSSRを出せると信じる浅さみたいな感じでちょっと敬遠してしまう。

しかし、今際の国のアリスはその点を克服している。魔法という超越項を用いずとも、死と戦い現実を生きることの難しさと奇跡を描けている。しかもそういう話は往々にして理想論や道徳めいたものに陥りがちだが、あくまでゲームに参加して勝ち抜くという形態をとっていることでスリリングな緊張感を失うことなく世界に没入できるし、かといって予定調和的に設定された敵と戦って予定調和的に勝つだけでなく、幾度となく絶望と希望を往復しながらも前に進んでいく様に感情移入することができた。1回限りの死が本当の死である稀有な作品。

 

また登場人物たちの生への貪欲さとその理由がはっきりしていてかつキャラクター形成にそのまま力を与えていて効果的だと思った。

ゲームで生き抜くことを辞めた人から、植物状態→死へ陥っていく。また現実の隕石落下に伴って得た被害が、夢の世界での傷にも直結している。やけど、足の切除など。そうした傷に絶望し向き合うことをやめた時点で二重の意味で死んでいく。

そこで生き抜いていくキャラの必然性。生きるための手段として想像力に乏しい人間から死んでいく。体を売ってコネを作って成り上がったOL、適当に働くチョータ、オーナーの女に手を出すカルベ、人間としてある種の卑しさを伴う優秀さではあるが、こうした何かからの逃避行動的な生き方をしている人間は容赦無く死んでいく。その中で、チシヤやニラギといった、強固な歴史と信念を持った人間が生き残り、その主義主張は高度に洗練されている。なので、数字戦が終わって雑魚が一層されたあとの、絵柄戦での緊迫感はすさまじく、まさにネクストステージにふさわしいゲームばかりだった。

弁護士、医者、命の順番の問題もゲームに落とし込むことができているしさらにキャラクターの生き様がそのまま投影されていて、ゲームを通じてキャラクターだけでなく主義、思想の対立を明確に描けていてそのスケールが好き

 

 

 

他細々した点では

・圧倒的リアルな映像技術(特に第一話の渋谷から人が消える演出は心を掴まれる)

本作の撮影に使われている「無人となった渋谷」の風景は、その多くが3DCG合成によって制作されている。撮影が行われた「足利スクランブルシティスタジオ」には1.5ヘクタールの土地に、ビル以外の「地下鉄入口・道路・信号機」などが本物そっくりに作られている渋谷の街の野外セットがあり、そのセットで俳優の演技を撮影したフィルムを元に、3DCGで作成したビルなどの渋谷の風景を合成して実現されている。

外配信を前提にした潤沢な予算と、上記の大型セットによる特撮技術により、本作は日本制作のドラマとしては非常に高いクオリティーを実現している。同様の手法で作成されている作品には、日本映画『サイレント・トーキョー』、中国映画『唐人街探偵 東京MISSION』などがある

Netflix制作だからこそできた資金調達

Netflixがあったからこそ、こういう「SF的かつ大掛かりな舞台を必要とする、もし実写化できたら最高に迫力でるけど技術予算的に難しい」ラインの良作を、すばらしいクオリティで作り上げることができるのだと思う

逆に映画産業は賞を中心とした権威主義的側面があるし監督の力次第だがしがらみ多すぎそうで、今後が不安でもある。Netflixのような配信前提の潤沢予算・技術力を用いて良い作品がもっとできるならば待望したい。

個人的には新世界より貴志祐介)の実写を見たい。